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宇宙空間に漂う岩石や砂粒の間をすり抜け静かに進む宇宙船の操縦席で、一人のヤードラット人が瞑想をしていた。自動操縦のため勝手に動くハンドルを尻目に、手のひらに自身の気をほんの少しだけ放出して、それで複雑な造形の動物を形作る。今回は大きな犬と小さな猫だ。大きな犬の尻尾にじゃれつく子猫というワンシーンが緻密に再現されている。まるで白一色の石像だった。
そんな手のひらサイズのエネルギーの塊を、形を崩すことなく長時間維持し続ける、というトレーニングを開始してすでに三時間。まだまだ余裕はあるが、時間はすでに深夜を回っている。そろそろ睡眠を取らなければ明日に支障が出るかもしれない。
ガルハッタは閉じていた瞼を開き、手のひらに浮かせていた白色のエネルギーを体内に吸収した。
固くなった体を解そうと背伸びをしていたら、背後からシュンッと自動扉が開く音がした。
「ガル……」
不安げな声と共にやってきたのは小さな黒髪の少年、ブロリーだった。薄いブランケットを抱き抱えてもなお床に引きずった状態で、裸足のままぺたぺたと歩み寄って来る。
「おや坊っちゃん。起きちまったんかい」
「……カカロットの夢、見た……」
「カカロットの夢っつーと、いつものあれかい。赤ん坊の泣き声の」
「……カカロットの泣き声が聞こえるとお腹が痛くなる……」
操縦席の傍まで来たブロリーは不安そうにしかめている眉毛を更に歪めると、それを隠すかのように腕に抱えているブランケットに顔を埋めた。
ブロリーは昔から、同じ内容の夢を見ることがあった。寝ているとどこからか赤ん坊の泣き声が聞こえてきて、それを背景に何故か宙吊りにされて腹部を鋭いナイフで刺されてしまう、という内容だ。
ブロリーの父親であるパラガスに聞けば、その夢はブロリーの実体験であり、カカロットというのはブロリーと同じ日に相前後して生まれた赤ん坊だという。ブロリーとパラガスに初めて出会った時に負っていた傷がそれだと言われ、納得とともにそのむごさに眉をしかめたのも記憶に新しい。
「ブロリー、おいで」
そのまま蹲ってしまったブロリーに手招きをしながら声をかけると、伏せていた顔の上半分だけブランケットから出てきた。悲しみに染まった目が見上げてくるが、ブロリーは動かない。
日常的にいつも不安そうな表情を浮かべているブロリーは、何に対しても消極的な性格をしている。思ったことをはっきりと口に出せず、自分がやりたいと思ったことにも遠慮がちで、いわゆる甘え下手というものだ。悪夢を見た直後に訪ねて来てくれたので、頼りにはしてくれているんだろうが。
ガルハッタは椅子に座ったまま気を放出して、ブロリーをブランケットごと気で包み込み優しく浮遊させた。そのまま膝の上まで移動させて、抱き抱えるとともに気を消失させる。こうやって人や物を気で浮遊させるのも日常的に行っているので、ブロリーに驚いた様子はない。むしろ表情が少し和らいだ気もする。
「腹はどうだい? まだ痛いか?」
「痛くない……痛いのは夢の中だけ。だいじょうぶ……」
「そうかそうか。パラガスと寝てたんじゃないのかい? 親父さんはどうした」
「寝てる……。ガルがまだここにいたから、こっちに来た」
寝るならここじゃなくてベッドがいいと思う……、と俯いたまま小さな声でもごもごと答えるブロリーの様子から、俺の気が操縦席から動いていないことに気付いて心配してくれたのだと察することができた。
「そうだなあ。スピリットのトレーニングも終わったし、ブロリーの言う通りベッドで寝ようかねえ。ブロリーはどうする、親父さんとこ戻るかい?」
ブロリーの頭をわしわしと撫でながらそう聞くと、困ったように目を逸らし、それでも小さくうん、と答えた。
(おや、これは……。悪夢のせいで眠気が飛んだかね……。少し時間を潰して睡魔を呼ぶか)
にやりと笑みを浮かべ、ガルハッタはブロリーに手を差し出した。手のひらからキャッチボールのような大きさのエネルギーがぽんぽんといくつも生み出され、それぞれが人や動物の形を作り出す。
「久しぶりに見るかい、アレ」
「……! 見る!」
アレという言葉にブロリーは目を輝かせ、満面の笑顔でガルハッタを見上げた。期待した表情を浮かべて目前で踊るエネルギーを見つめ始める。
アレというのは、エネルギーで人形を模して各自を自由自在に動かす人形劇のようなものだ。セリフや音なんかは紙芝居のように自前の声で演じるが、それでもブロリーは昔からこの遊びを気に入ってくれている。
「さあて、今日はどんな話にしようかね」
「宇宙海賊が戦うやつ見たい……!」
「おいおい、こんな時間に見たら興奮して寝れなくなっちまうだろ。戦いの話は親父さんが起きてる時だけだ」
「む……」
不服そうに頬を膨らますブロリーは、それでも大人しく引き下がり、別の案を思案し始めた。自分の意見を押し通すと人形劇自体がなくなってしまうことを経験済みだからだ。
宇宙空間で生身のまま漂っていたブロリーとパラガスを拾ってから、すでに五年が経過している。
些細なことで泣き出していた赤ん坊だったブロリーも、この五年で言葉を話し、歩き回り、格闘の真似事を始め、エネルギー弾を扱うほどに大きくなった。教えてもいないのに手のひらから緑色の気を放出してみせた時はとても驚いた。ガルを真似した、と言われた時はスピリットのトレーニングを自粛しようかとも思ったほどだ。しかし今更自粛しても意味はない。それよりも正しい使い方を教える方向に誘導した方が将来のためになる、と基礎から教えるようになった。
自分の周囲に気の膜を張るバリアがすでに完成の域に達していたのは、赤ん坊の頃の経験なんだろう。防御方面が得意なのはブロリーの性格から考えても納得がいく。自分が嫌だと思ったもの一切を拒絶して、痛みや不快感を感じないようにする技術。
パラガスと組み手を始めてからは無意識に肉体強化してダメージを軟化しているし、これが攻撃方面にも興味を持ち出してしまったらとんでもないことになりそうだと、マークスは戦々恐々としていた。
パラガスはサイヤ人とはそういうものだ、と満足そうな顔をしていたので早々に意見を求めるのを止めた。ブロリーへの接し方で薄々予感はあったが、あの男、近いうちに親馬鹿になりそうな気がする。
「……こうもりの話、見たい」
しみじみと時間の流れを感じていたら、ブロリーの声で現実に引き戻された。見たい人形劇が決まったらしい。
「【ずる賢いこうもり】か。渋いチョイスだねえ。しかしこのこうもりは最後が可哀想じゃないかい?」
けれどブロリーはふるふると首を振り、幼い子供が浮かべたとは思えない嘲りの表情で薄く笑った。
「かっこ悪くておもしろいから好き」
「……そうかい」
将来が不安になる返答だが、ガルハッタはスルーすることにした。適当に踊らせていたエネルギーである人形たちを、全て動物の形に作り替える。翼ある鳥、四足の獣、そして小さな蝙蝠。
【ずる賢いこうもり】は子供への教訓として語られる物語である。
獣と鳥に分かれて戦いになった際に、主人公のこうもりは鳥が不利になったら「全身に毛が生えているので獣の仲間です!」と獣側の味方をし、獣が不利になったら「羽があるから鳥の味方です!」と鳥側に鞍替えするのだ。
最終的に鳥と獣の戦いが収まった後、何度も裏切りを重ねたこうもりは鳥と獣の両者に「二度と姿を現すな!」と追い出されてしまう。こうもりみたいなことをするとみんなに嫌われてしまうから気を付けようね、という終わり方だ。
話の大筋はそのままで、動物たちを動かし、セリフはその時に思い付いたままテキトーに進めていく。蝙蝠が裏切るたび、鳥や獣が騙されるたび、ブロリーの小さな笑い声が部屋内に響いた。
まだ五歳だというのにこの反応。最後には痛い目を見る主人公に対しておもしろいという感想が出るのであれば、この感性は根っからのものなんだろう。思想の矯正ではなく、上っ面の整え方や猫被りの方法を教えた方が良さそうだ。後でパラガスに伝えておこう。処世術ならあいつの方が得意そうだし。
物語が終盤に差し掛かったころ、反応が薄くなっていたブロリーの体がもたれ掛かってきた。
「ブロリー?」
「んん……」
覗き込むと両瞼が閉じており、寝息はまだ聞こえないが入眠しかけている。
動かしていたエネルギーを全て抹消して、丸くなっているブロリーの体を抱き上げて操縦席から立ち上がった。ブロリーを自室で寝かせようと操縦室の出入口へ向かいながら、外にいるだろう人物に声を掛けた。前々から第三者の気を感じていたのだ。
「来てんだろ、パラガス。ブロリーは眠ったぞ」
するりと音もなく姿を現したパラガスは居心地が悪そうに眉をしかめ、抱えられているブロリーを見やった。
「すまんなガルハッタ。ブロリーをあやしてもらって」
「いやいや。ブロリーは大人しいから相手するのは楽だぞ。それに今日は自室に戻ってない俺を心配してくれたみたいだしなあ」
「そうか、ブロリーが……。やはりお前には懐いているようだな。最近ではオレよりもお前の言いつけをよく聞くようになった」
「そうかい? お前さんの言うことにも素直に聞いていると思うが」
「サイヤ人は何よりも強さを重要視する戦闘民族だ。自分より弱い者には従わない。例えそれが親であっても。……オレの戦闘力はブロリーに劣る。今はまだブロリーの経験不足と肉体のリーチの差からオレが勝てているが、あと数年もすればそれもひっくり返るだろう。ガルハッタ、お前はブロリーの相手をする時に本気を出したことがないだろう?」
いきなり何の話かと思ったが、スピリットのトレーニングのことだろうか。ブロリーに気の使い方を教える時に見本として技を再現してやったりするし、気をメインにした組み手なんかも頼まれたら相手している。だいたいはブロリーが攻めに回って、ガルハッタは避けているだけだが。
「そりゃそうだろう。五歳児に本気なんか出すかい」
「ブロリーはそれを感じ取っている。無意識にオレよりもお前を格上に配置しているのさ。……実際に、オレよりもお前の方が遙かに強いのだろうが」
そう寂しそうに呟くパラガスだが、正直、俺の身体能力はカスだ、とガルハッタは思っていた。
戦闘に特化したサイヤ人と違って、スピリットに特化したヤードラット人であるガルハッタはのろまで運動音痴。身体も鍛えてないし体力もない。スピリットが使えなければパンチ一発で死ぬ可能性が高いし、ボコボコに殴り殺されて終わり。
バリア作ったり肉体強化したり瞬間移動したり、爆発性や切断性の気弾を放ったり、果ては分身したり頭の中の記憶を読んだり怪我を瞬時に治したりと、スピリット自体は自由度が高い技術だが、戦闘力という意味では、ガルハッタはパラガスより低いだろう。
「……あんたらと過ごしてきてサイヤ人にもだいぶ詳しくなってきたが、その戦闘力が中心の考え方はいまだに理解しがたいな。野生の猛獣みたいだ」
呆れた表情を浮かべると、パラガスはふっと小さく笑い、
「そうかもしれないな」
とガルハッタが腕に抱いていたブロリーに手を伸ばし、静かに抱き上げた。眉根を寄せながらも穏やかな寝息を立てているブロリーを見つめるパラガスの目は愛情に満ちており、サイヤ人とて親は親なのだなという気にさせられる。
「さて。お互いにもう寝ようかね。立ち話が過ぎると時間感覚が狂っちまう」
「ああ、そうだな。おやすみガルハッタ」
「はいよ、おやすみ」
ブロリーを抱いて客室へと去って行くパラガスを見送り、自らも寝具を設置してある睡眠スペースへと足を向けた。
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2024.10.30