小説

第一話:目覚めたのは平安時代

 刀を生み出すための鍛錬所にて、今日も今日とて鉄を叩く音がする。  カァン、カァン、といつまでも鳴り止まない金属音に、かまどの火の見張りをしていた俺は頬を膨らませてぶすくれつつ刀匠の元へと駆けて行った。 「かねつぐ、雑炊の水分が無くなりそうだぞ。今度鍋が焦げてしまうと底に穴が開いて新しい玉鋼が買えなくなるって言ってたじゃないか」  火が入っている炉の前まで行くと、一人の若い男が小槌片手に刀の鍛錬をしていた。  手には、長く伸ばし終わった細長い棒をやっとこ鋏(※ペンチみたいな形の掴む道具)で掴んでおり、刀らしくするために若干の反りをつけ始めている段階である。  刀を作るのに集中してるらしいこの男が、"俺の刀"を生み出した刀匠、兼次(かねつぐ)だ。  夕飯用の麦と魚を鍋で煮込んでいたのだが、水を汲んでこよう、と言ったきり厨に戻ってこなかったのだ。まさか調理中に鍛刀を始めるとは思わなかった。 「なあ、かねつぐ~。このままだと火事になるからさ~」  兼次の傍で何度も喋りかけてみても、俺の言葉は人間に聞こえないらしい。着物の裾を掴もうとしても、己の小さな手はすかっと通り抜けるだけ。  そう、喋れるし、動くことができるようになった。けれども何故だか、子供のように小さくなってしまっているようだった。  この家には鏡が無いらしく確認することができないが、己の視線が成人男性の腰あたりを彷徨っているので、たぶん年少……二、三歳くらいだろうか?  ここ数か月の間この姿で過ごしていたのだが、我ながら感情表現が稚拙というか、感じたことをそのまま表に出してしまうというか、そんな状態なので、誰かに見られたら恥ずかしくてたまらなくなりそうだから、透明なままで良かった、とも思うのだ。  しかし今のように至急伝えたいことがある場合は、とても厄介だ。  兼次が鍛刀を中断する様子が一切見えないので、仕方なく壁際に置かれている鍛冶道具のもとへと移動した。木箱の上に積み上げられてるいくつもの金槌を思いっ切り引っ張る、ふりをした。幽霊の身では触ることはできないはずだが、俺の手が金槌をすり抜ける度に微かに揺れて、徐々に位置がずれていく。  それを何度も繰り返していたら、ついに複数の金槌ががらがらがらっと物凄い音を響かせて地面に崩れ落ちた。でこぼことしていた土の地面に新しい凹みが生まれて、今までも何度も落っことしてきたことがわかる。 「うわっ!? な、なんだ、また落ちたのか」  飛び上がるようにその場から後退した兼次は、音の出所がいつもの金槌だと知るとすぐに肩の力を抜いた。それぐらい頻繁に至急の用事があるのだと思うと、正直悲しいものがある。 「あの金槌が落ちる時は、いつも何かを忘れてる時…………あっ!」  過去を振り返っていたのだろう。突然声を上げたと思ったら、鍛えていた刀をそのまま放置して住宅スペースの母屋へと駆けだして行った。  子供の足でぽてぽてと追いかけて行けば、きちんと思い出してくれたのか底が少し焦げ付いてしまった鍋をかまどから離し、焦った様子で食事の準備をしている兼次がいた。 「いやー、危なかった。今度こそ燃えるかと思った。馬鹿だなー、おれ。あっはっは」  なにわろてんねん。と突っ込みたいところだが、困ったような顔をしつつも楽しそうな兼次を見ていると、不思議と不満や怒りは掻き消えて、一緒に笑いたくなってくるのだ。  馬鹿なかねつぐだなぁ、と笑い飛ばすと、胸がほっこりとあたたかくなる。  兼次は自分の食事とは別に、小さな皿の上にほんの少しだけ雑炊を分けていた。その豆皿を、自分が座っているすぐ横にちょこんと設置する。まるで、隣に誰かが座っているように。 「何の妖かわからないけど、いつもありがとうな」  なんともなしに呟く兼次の隣に、俺は腰を落ち着けた。ほかほかと湯気が立ち上っている供物を目の前に、俺の頬はにやにやとだらしなく緩む。  幽霊の俺は物を食べるなんてことはできないけれど、それでも、この雑炊に込められた兼次の気持ちが、とても嬉しかった。とてもきれいで、あたたかくて、きもちがいい。実際に食べることが出来れば、きっと美味しすぎて、俺の頬は落ちてしまうだろう。そんな予感がする。  俺が子供の姿になったのは、兼次に対して初めての接触を試みた日だ。  鍛錬所の炉の火が完全に消えておらず、再燃焼を起こしてボヤ騒ぎになろうとしたときだった。  喋ることはできない。動くことはできない。人に触ることはできない。物を持ち上げることも出来ない。それでも諦めずにどうにかして知らせようと念じ続けていたら、壁にかけてあった鍛冶の道具が立て続けに崩れ落ちたのだ。おかげで母屋で眠りこけていた兼次やその家族はすぐに気付き、工房に飛び込んできてくれた。  その翌朝、どうしてだか今のような状態にまで変化していたのだ。  今まで動けなかった鬱憤を晴らすように、外を駆け回り、木によじ登り、大声をあげて、人々の会話を傍聴し続け、気が済むまで遊びまわった。  そうして知った。  ここは過去の世界。  俺が生きていた二千年代ではなく、それよりもずっと昔。  日本史の中で唯一、俺のような幽霊がいても不思議ではないだろう時代。  そう。  ここは、平安京なのだと。 次→