小説

第一話:目覚めたのは平安時代

 とある日。  いつものように鍛冶鍛錬所で数人の男たちがあくせく働いている様子を見学していると、兼次の父親である兼永が、細長い木箱をひとつ、大事そうに持って来た。  鍛錬所にいた男達がちらほらと集まってきて、事情説明をしている兼永の言葉を驚いたように、嬉しそうに聞いている。  そんな様子に興味を惹かれないわけもなく。男達の足の間を無理矢理押し通って、兼永が取り出そうとしていた物品が見やすい位置まで潜り込んだ。  細長い木箱の蓋を開けると、中には柔らかそうな布に包まれた太刀が寝かせてあった。  "俺の刀"よりも長くて、全体的に青みがかっているような。兼永がゆっくりと刀を持ち上げると、刃文部分にある小さな痕がきらきらと光って見えた。  あっ、と声をあげた。この刀を、自分は知っている。  数年ぶりに博物館で展示されると聞いて、速攻で旅路の予定を組み上げて飛行機で飛んだんだった。それだけではなく、この刀はいろんなゲームで取り上げられるほどに有名なもの。平安時代に打たれた、天下五剣の――。 「おや、初めて見るな。お前はどこの付喪だ?」  ざわざわとした談笑を背景に、少年のような声がはっきりと届いた。  声の鮮明さと状況の異質さに驚いて、咄嗟に振り向く。  聞こえた言葉の意味は読み取れなかったが、こんな場所で子供の声を聞くのは初めてのことだったから。  男たちが集まっている場所から少し離れた、鍛錬所の入り口近く。  青い狩衣を着た黒髪の少年が、ふわふわとした穏やかな微笑みを浮かべて佇んでいた。 「小さい……」  彼のその姿は予想よりも幼く小さかったが、青みがかった黒髪も、少年ながら整った顔立ちも、袖の長い青い狩衣も、さすがに戦装備はしていないものの、自分の記憶に残っているゲーム、三日月宗近の付喪神そのままだった。  固まったまま唖然と見返していると、少年は大きな袖を口元に当ててこてんと首を傾げた。 「うん? よくわからんが、お前の方が小さいだろう?」 「!!?」  会話が成立した、だと……!?  この鍛錬所に住み着いて約半年。ずうっと独り言ばかりで、周囲の人間に話しかけても無視され続けていたのに、ここにきて初めての言ノ葉キャッチボール成功……?  久しぶりに発生した他人との会話に、驚愕と嬉しさとでテンションうなぎ上りの高揚感MAXだ。感情そのままに自分の顔がぱあっと明るくなるのを感じる。きっと今の俺は、満面の笑顔を浮かべているだろう。  三日月宗近はそんな俺を見ても変わらずにこにことした綺麗な笑みを浮かべて、長い袖でちょいちょいと手招きのような仕草をした。来いということだろうか?  刀を囲んで集まっている刀匠達は、突然現れた綺麗な子供にまったく気付いていない。  俺ももっと三日月宗近刀をじっくり見たかったのだが、仕方ない。久しぶりの相互会話だ。次に喋れるのはいつの機会になるか、と考えてしまうと抗えない。  急ぎ刀匠達の輪から抜け出して、てててと速足で三日月宗近らしき少年に近付いた。 「なあ、お前はどこにあるんだ?」 「ん? どこにある??」 「刀だ。お前も俺と同じ存在、刀なんだろう?」 「…………ん???」  少年の口から紡がれる和やかな言葉に答えるよう、精一杯首を傾げた。  三日月宗近らしき子供と同じ存在? 俺が? 「俺は幽霊だけど?」 「んん? 刀の付喪ではないのか?」  少年は不思議そうに首を傾げて、俺も真似するように逆方向に首を傾げた。  俺が刀のつくも? つくもって付喪神? いやしかし、幽霊になる前は人間だったし……。  刀と言われて思い付いたのは、俺がここで初めて見た"俺の刀"のこと。兼次によって鍛刀され、この子供の姿を得るまでの間一緒に在ったあの細くてシンプルな太刀。  あの刀の傍にいると何故か安心するので、勝手に俺の拠り所にしているのだ。自宅とか自室とか、そういう肩の力を抜いて人心地つける特別な場所。寝る時はいつもあの刀が飾られてる傍で丸まっている。  ということは、俺はあの刀に取り憑いているってこと?  だとしたら、事情を知らない奴に刀の付喪神と間違われることもわかる。 「俺はあれだぞ」  物思いに耽っていた俺の横で、少年はマイペースに会話を続ける。  あれ、と指している方を見れば、様々な角度で眺めようと高く掲げられていた三日月宗近があった。再び少年ーー三日月宗近の付喪神に振り向けば、にこりと笑む。 「俺は三条の宗近が打った太刀だ。お前は?」  お前はどんな刀だ、と尋ねられて、返事に困って鍛錬所の壁へと視線を向けた。  鍛錬用の資材や道具が置かれている壁際とは逆方向、入り口にほど近い場所の壁に、試作品の刀を掛けるための刀掛けが設置されていた。"俺の刀"はそこにある。  白鞘すら作られていない抜き身の刀が数振り、寝かせられた状態で壁に並べられていた。そのうちの一本に近付く。 「これ。かねつぐが作った」  ここにある刀達は、この鍛錬所に通っている刀匠達のお手本や買取客の品定め用として展示されている。  刀匠達の会話を聞いた限り兼次が鍛えた刀は数振りあって、確か"俺の刀"は六本目くらいだったか。先に打たれた刀のうち三振りほど、すでに貴族や武士達の元へ旅立っている。御眼鏡に叶ったものはどんどん売ってしまわないと製作費が稼げないのだから当然だ。  午前中は御所へ参内しているみたいだから生活に困っているわけではないが、それでも鍛冶はお金が掛かる。うちの兼次は刀を作ることが楽しいらしく、完成した刀を大事に保管しておくつもりは無いらしい。まあ、"俺の刀"もいずれ売られるんだろうな。 「おお。面白い刃文をしているな。のたれのように見えるが……まるで雲が流れているようだ。お前らしい」  壁にかけられている刀を見上げていたはずの三日月宗近は、何故だか「お前らしい」と俺に優し気な視線を向けた。まるで生まれたての赤ん坊を見守るかのような眼差しで、なんだか居心地悪い。  それにしても、どうしてこんなに刀の付喪神扱いされてるんだろう?  三日月宗近の態度に対しての不満と疑念とで思わず眉根が寄ってしまう。頬が膨らんで口がとんがりそうだ。 「おや。不機嫌になってしまったな。どうした?」 「その刀のどこが俺らしいって? 似てないだろ」 「ふむ?」  俺は日本人らしく黒髪黒目で雲を連想させるような容姿はしていない。  ……と思ったが、子供の姿に縮んだからって髪の色が黒く戻った保障はない。なんせ、俺が死んだ時にはすでに、白髪を通り越してつるぴかになっていたからだ。  咄嗟にばばっと頭に手をやる。すると、両手にはふわりとした柔らかい手応えがあった。もふもふとボリュームがあり、髪質を判断するなら天然パーマに近いか?  今まで気にしたことがなかったが、髪の長さを確かめてみると予想以上に長かった。肩から足へ下るほど徐々に量が少なくなっていって、後ろを振り返れば尻尾のような毛先が地面に触れようとしている。  後ろ髪を手に取って確認した髪の色は一点の曇りなく真っ白で、それこそすじ雲のよう。  これ、俺じゃ、ない。  こんなに長く伸ばしたこともないし、天パでもなかった。  そして、髪と同時に気付いた肌の色。それこそ髪と同じくらいに真っ白な手。こんなに白い肌色は、テレビや雑誌なんかに出演していたロシア人女性を見て以来だ。どう考えても、生粋の日本人である俺の手じゃない。  衝撃の事実に愕然としていると、三日月宗近はその大きな両目をぱちくりと瞬かせた。 「なんだ、自らの姿に意識を向けたことがなかったのか。道理で。ゆらゆらと陽炎のように安定していなかったはずだ。今なら目を凝らさなくてもはっきりと見えるぞ」  ころころと笑う三日月宗近は、衣装まで白かったら判別すら出来んかったところだ、なんて俺の着物の袖を引きながら言う。  でも、俺はそれどころじゃなかった。  ただ単純に死んで幽霊になったのだと思っていたのだ。けれど、これだと。三日月宗近が言ったように、この姿が、俺が拠り所としていたあの刀の付喪神なのだとしたら。  まるで、俺がこの刀を乗っ取ったようじゃないか。それなんて悪霊。 「どうしよう……」  己がしでかしてしまったことに対して、じわじわと恐怖や罪悪感が沸き上がった。手足が震えだす。  急に怯えた様子を見せ始めた俺の姿に三日月宗近は困ったように首を傾げていたが、ふと、顔を上げた。 「移動するみたいだ」  三日月宗近の視線を追うと、長い木箱を抱えてこちらへ向かってくる兼永の姿が見えた。お披露目が終わったのだろうか。俺の背後には出入口しかない。 「すまんな。お前の憂いを払うことは出来そうにない。また出会うことがあれば話そう」  頭を撫でられて驚いて見返すと、寂しげに笑う打除けと目が合った。  深く、優しい藍色の中に浮かぶ細い三日月。金色に瞬く月が、虹彩の中で更に細く変化したような気がした。  ゲームで何気なく眺めていたキャラクターイラストは、実物になるとこんなにも輝きを放つものなのか。まるで星空のような、けれども恐ろしさすら感じる色彩。  美形だなあとぼんやり思っていた三日月宗近でこんなにも目を奪われてしまうのに、自分が気に入っていたあの刀が目の前に現れたなら、どれほどの輝きを放つだろうか。  いつの間にか別方向へと思考が飛んでいたらしく、はっと気が付けば鍛錬所の中はいつもの刀匠達の作業風景に戻っていた。  慌てて鍛錬所から出ると、木箱を抱えた兼永と三日月宗近の姿は遠くまで離れていて。  急いで追い駆けたものの、半分ほど距離を詰めたところで背中を引っ張られて尻餅をついてしまった。振り向いても何もない。なのに、それ以上進むことができない。  こんなことをしている間にも、三日月宗近は離れてしまう。俺は焦っていた。 「みかづきむねちか!」  その場で張り上げた俺の声は、届いたようだった。  三日月宗近の頭がきょろりと周囲を見渡し、そして振り返る。目が合った、気がした。  嬉しくて全身のばねを使って立ち上がった俺は、腕がちぎれんほどに振り上げた。 「またな!!」  たぶん、最後に見た寂しそうな笑顔が、俺にとっての魚の小骨だったんだろう。罪悪感という名の小さな骨。俺の態度があの表情を招いた。  ちくちくと刺さる胸を抱えたまま、親愛の情を示すように腕を振り続けた。  こちらからは、遠すぎて三日月宗近の表情は読み取れない。けれど。三日月宗近の腕が持ち上がり、ゆっくりと振り返された。  それが嬉しくて、更にその場でぴょんぴょんと飛び跳ねてしまう。 「またなー!!!」  俺が飛び跳ねだしたからか、片腕だった三日月宗近も両腕で振り返してきて、そのおかげで更に興奮が助長された。何度も何度も繰り返し同じ言葉を叫んで、結局、三日月宗近の姿が見えなくなるまでずっと飛び跳ね続けた。  冷静になって客観的にみると、とんでもなくうるさい子供だったと思う。反省はしているが、俺の姿も声も周囲の人間には届かないから問題はない。だからこそ、三日月宗近が俺の全力の言葉に反応して返事をしてくれたことに歓喜してしまった。思い出すと高ぶって、気持ちがぶり返してしまいそうになる。  俺は三日月宗近に対して友好的な態度をとることが出来ただろうか。俺が原因で、"俺の刀の付喪神"と険悪な仲になってしまったら申し訳ないからな。  これ以上悪霊ポイントを稼がないためにも、出来るだけ清く正しく生きていきたいと思う。そんな馬鹿なことを考えていた。 〆 ←目次 第二話→